2006年10月
2006年10月26日
逝く秋に
願掛けも虚しく。(というか、断酒もたった6日間で終わったのがいけなかったのか)大切な友人と 大切な身内。相次いで逝ってしまいました。なくして初めて気付く 大切なこと。大切な存在。
いろいろ思う 秋 です。
ご遺体が 怖いものじゃないってことも。
ホッペに触って 額をなでて。冷たいけれどふっくらしてる。
優しく微笑んで そこにいる。
まるで良い夢を観ながら 眠っているように。
大阪の友人は その親友と共に 亡くなる4日前に病院に見舞ったばかりでした。
彼は 人柄からか 素晴らしい友人達に恵まれていました。
春に不治の病と宣告され、それから彼の回りで壮大なプロジェクトが動き始めます。
人生の祭り。良い思い出いっぱいで送ってあげようと、彼を連れ出しての旅行、彼を囲んでの同窓会、次々に楽しい事が企画され、数十年ぶりに再会する仲間達は 楽しい思い出話に いっぱい いっぱい 花咲かせ。
「死ぬことも まんざら捨てたことじゃない♪」と自他共に思わせるような、そんなイベントごとを次々企画する回りの友人達。話に聞きながら、そんな彼らの姿にこそ 私はずっと感動してました。
最後を看取ったのは彼の高校時代の親友と 小・中学校時代に彼が好きだった 同級生の女の子。
30年ぶりに現れて、最期の三ヶ月を献身的に尽くして過ごした彼女を、女神さまのような人やと よく知る人々は口にします。看病疲れで げっそりとやつれながらも「最期を共に過ごした時間は本当に大事だった」と語るのです。
いろんな 愛の形があるんだな。
丁度同じ頃に逝った俳優の藤岡琢也さんが演じていた映画「死に花」そのままに、自分の口で喋ったコメントを動画として流す 遺影。
「ちょっと早いけど ほな先に行ってます。
みんな待ってるよ。ぼちぼち来てな」
笑った顔で その映像はストップしました。
彼の無二の親友の生歌生演奏と、彼の育てたアーティストの歌に送られて、荘厳で哀しい ヤサシイキモチいっぱいの 心に残るお葬式は終わったのでした。
「私は ほんとうに幸せだったよ」
そう言って亡くなっていった身内は 私の一番尊敬する女性でした。
どんなときでも 痛いとか苦しいとか弱音を口にすることはほとんど無く、いつもニコニコ笑っている。八千草 薫 似の弥勒さまのような笑顔。
近隣の人々からも愛され慕われ、それは素敵な女性でした。
お通夜に聞かせていただいたのは ご住職さまの有り難い御法話。
「亡くなることを 「往生(おうじょう)」と言います。文字通り、往って生まれる、生きるということです。これからは、写真やゆかりの品を見るまでもなく、あなたの心の中にその姿は生き続け、その声は響き続けます。」
と。
通夜の寝ずの番で、控え室からご遺体が安置されているホールへと 線香を絶やさぬように通いながら、しばしずっと彼女の前で昔のこと いろいろ話しかけながら静かな静かな時間を過ごしました。
あぁ 死ぬって そんなに悲しいことじゃないんだな。
まぶたを閉じると 素晴らしい笑顔で 貴男は 貴女は そこに居てくれる。
これからも ずっとね。
今週の小ネタ 〜 こんなところで ジャズる?!
さて。お通夜・告別式。厳粛な雰囲気の中にも ツボにはまるという瞬間はあるもので。不謹慎ながら ちょいと御報告を。
千葉でおこなわれた葬儀にて。
いえね。お坊さんの木魚の叩き方なんですよ。
偉いお坊さんと、その弟子のお坊さん。二人で読経しているわけですが、木魚担当は 左横にいる弟子のほう。
この若いぼんさんの叩き方が、見事に裏拍なんだわ。
わかりますか?
ウン、タン、ウン、タン。。
つまり4拍子とすると、2拍めと4拍めで叩いているの。普通、、というか今まで聞いてきた木魚の拍子は1拍めと3拍め。日本の音楽の典型であるところの表拍ばかりだったので、この裏打ちが やたらファンキーに聞こえるわけです。
私の隣りで聞いてた若者は大学でバンドをやっていてドラム担当だという。その彼も 同様に驚いていたらしく。
「ジャズだね」と私が耳打ちすると、
「うん。しかも微妙に跳ねてるし♪」
と応える。
ファンクジャズです。
そこからは頭の中をぐ〜るぐる。
ホレス・シルバーのSister Sadieやらランディ・ブレッカーのSome Skunk FunkやらパーカーのNow's the Timeやら、アート・ブレイキーのMonin' やら。鳴りまくって大変でしたぁ。
あまりに不可思議な感じだったので、お骨が焼き上がるまでのご法事会食のあと、コソッと この若ぼんさんに質問してみました。
「どーして裏拍なんでしょう?」って。
答えは明瞭でした。
「浄土宗だからです」
この宗派だけが こういう叩き方になるんだそうです。
ほっっほうぅぅぅぅ。
浄土宗は ジャズである。
2006年10月17日
手のひらの 地球
長野県白馬で、とんぼ玉作りを体験した。とんぼ玉って わかるかな?
ガラス製の丸い玉。紐を通してストラップにしたり、ネックレスにしたり、宝石のように綺麗なの。
去年の秋は、初めてのパラグライダーを体験し、とってもエキサイティングなアウトドアを満喫したので、今年はリバーラフティングかな?なんてワクワクしていたのだが、生憎の 土砂降り雨模様。。
「雨には雨の楽しみがあるんですよ♪」白馬の旅先案内人を買って出てくださる村下さん(通称むらちゃん♪)がニッコリ微笑み案内してくれたのは、白馬どんぐり村ペンション「ロールワリン」とんぼ玉体験工房だった。緑の森に囲まれた ログハウス調の建物が なんだかほっこりあったかい。
どうして「とんぼ玉」って言うのかしら?
素朴な疑問で聞いてみると、ご主人曰く「とんぼの眼のようにキラキラと光るから」って、可愛いね。思わず「トンボの眼鏡は水色めがね〜♪」と歌ってしまう私であった。
江戸時代から とんぼ玉と呼ばれていたそうな。
実は、とんぼ玉の歴史は古く、紀元前2500年、メソポタミア文明にまで遡る。日本でも弥生時代の古墳から出土されているというから、美しいものに心惹かれるのは 古今東西 問わないものなのね。
マーブル模様や水玉模様、色や細工を選んだ後、早速スタート。
まずは、先生が見本をつくって見せてくれるのだが、これがどーして、なかなか難しそうではないか?!
直径1cmほどの棒状の色ガラスをガスバーナーで溶かし、ステンレスの棒に巻き付けながら形を整えていく。ガラスが飴のようにグニグニになる様は、蛇が鎌首をもたげているよう。その動きがあまりにユーモラスなんで、笑っちゃう。すると 手元が狂って、先生の手を借りることになる。
ここのところターコイズカラーがマイブームである私が選んだのは、水色のベース。そこに針金状の細い白と紺の色を混ぜてマーブル状にし、さらに、巴型の模様を埋め込んでいく。
すごーく真剣に対峙していたものだから、全身の筋がつりそうになったよ。
出来上がったら 灰の中に埋めて 静かに冷めるのを待つ。
小さい頃。ビー玉を眺めているのが好きだった。あのラムネの瓶に入っている一番シンプルな緑のね。
気泡がポツポツ入っている。その気泡が 自分のように思えてくる。
手のひらで転がしていると、まるで自分が、地球の運命を牛耳っている神のような存在にも思えてくる。
運命に踊らされる自分と、全てを意のままに動かす「絶対権力」の自分。
この地球を ころころ手のひらで動かしている絶対的な存在がきっといる。
そう考えると眠れなくなった 変な子供だったな。
森の木霊の声のような雨音を聴きながら、ロールワリンのご主人や奥様と色々な話に花を咲かせつつ、たっぷり二時間半。
インドアで過ごす白馬は それは特別な やさしい場所だった。
完成したとんぼ玉は 優しい奥様がネックレスに加工してくれた。
しばらくは 首から地球をぶら下げて歩く 私がいるよ。
見てね♪
ペンション ロールワリン
長野県北安曇郡白馬村大字北城9464−96
TEL 0261−72−5361
※ 宿泊すると とんぼ玉体験一回無料となるそうです。
ふるさと探検隊
友だちの生まれた町を 歩く機会に恵まれた。「宇多田ヒカルの作り方 」なんて本もあったけど、この人がどうやって生まれ育ったのか、どういう環境で人格形成が行われたのか。なんだか興味があることじゃないか。
電車に揺られていく車窓の眺めも なんだか自分のふるさとに回帰していくようで 覚える気持ちは ノスタルジー。
駅に降り立ち、細い路地をゆっくり歩く。うわっ!JR駅からすっごく近いのね。徒歩2分の生家は 今は駐車場になっていた。
小学校、中学校、有名進学校だという高校までも徒歩圏内。買い食いしたパンやさん、石蹴りしながら歩いた通学路。同級生の実家の靴やさん。近所の思い出の公民館。子供の頃は、とっても広く感じた道幅が意外に狭いこと。幼なじみの家の庭にまで入り込み(不法侵入!)、ここでこんなふうに遊んだ... なんて聴いてると、「いいなぁ。。」と思ってしまう。
私は小学校を5回も転校し、中学校は学区外から通い、高校はバスで通学していたし。札幌、仙台、東京と流れ流れて住んでいるので、幼なじみと呼べる友とも 年賀状のやりとりぐらいで、繋がってはいない。
大都市のベッドタウンとなるその町は 閑静な住宅街が続き、表通りは官公庁から賑やかな商店街まで 半径1kmぐらいに全てが揃っている。
「この狭い空間を18までクルクルくるくる回っていただけなのよね」と問わず語りに口にする友人。息苦しくなってこの町を出たと。ひとつところに留まっていなかった私には 羨ましいとも思える環境なのだが。
夏日となったこの日、熱い日射しに上着も脱いで、昔語りを聴きながら、ゆっくりゆっくり 歩を進める。
ついでだからと お花を買って 墓参り。
一緒に手を合わせながら、自分のふるさとを 思った。
日本全国歩いて いろんな景色や人と出会い、どこか面影を重ね合わせ、毎度、帰郷を疑似体験しているような気がするのはラッキーなことなのか。
止まったようにも感じる時の流れの中で 心遊ばせた 神無月の一日。
電線越しに切り取られた空は どこまでも澄んで、ちょっとターコイズな青さ。
いい時間だったな。
2006年10月16日
みっつの 視点
二日間 病院にいた。看護 というか 付き添いの合間に 病院の売店で文庫本を買った。
俵万智さんが書いた初の長編小説「トリアングル」。読売新聞に連載されていたものだった。
33歳のフリーライターの薫里。妻子ある年上の恋人M。7つ年下の圭ちゃん。同時に動く二つの恋が どう読んでも万智さんの半自伝小説と思われる筆致で進んでいく。
小説に圧倒的なジ・エンドは無い。
が、現実の万智さんが取った選択、シングルマザーという道を示唆する描写で終わっているのが興味深い。
あいたたた、、、突き刺さるように痛みを感じる描写がそこかしこで、どうして今 私はこの本を手に取っちゃったんだろうな なんて思う。
要所要所で 三十一文字で表現される短歌こそが 何より凝縮して気持ちを映しだしている。その才能に その思いに 舌を巻く。憧れる。共感する。
たとえば。
「人間がやってきたことは、A地点からB地点への最短距離を、直線で結ぶようなことばかりですな。自然は、蛇行するという知恵を持っています。」
蛇行する 川には蛇行の理由あり 急げばいいって もんじゃないよと
「蛇行する知恵か......」
博士の話を聞きながら、思った。今の私も、圭ちゃんに出会って、一つの蛇行をしているのだろうか。それは知恵と呼べるようなものではないが、何か小さな意味はあることなのだと思いたい。
いや、さかのぼれば、Mとの関係も、アイツとの別れも、みんなみんな蛇行なのかもしれない。たとえば結婚というゴールを目指して、最短距離を突き進む人もいる。私のように、のらりくらりと曲がりながら、あてのない蛇行を続けている人もいる。そのことが、湿原に水を配るように、生きるということを、みずみずしいものにしてくれているのかどうか。できれば、そうありたいものだけれど。
この小説、阿木燿子さんが監督、宇崎竜堂さん音楽で11月11日に全国ロードショーで公開されるという。
もうすぐじゃないか。
観たいような 観たくないような。
俵 万智の文体は ブリリアントカットのダイヤのようで、描く世界は、こんなにも切なくさせる。
彼女の生き方。彼女の愛し方。
私とは違うけれど。
シンパシー。。。
2006年10月10日
いろんなムシ
風邪は治った。はずなのだが、どーにも「エヘン虫」がとれない。トーク番組の喋り始め、ナレーションの読み始め、かすれたハスキー声になってしまい、ゲストのほうが堪えられなくなって咳払いをする始末。この なんか からまった感じ。早くとれないかなぁ。
「本の虫」。子供の頃そう呼ばれたが、最近 出張の乗り物の中じゃないと、なかなか読まなくなった。電車通勤だった頃は、毎日の往復の電車の中が一番の図書室だったのに、自家用車通勤になると、ダメだねぇ。
夜、ネットに費やす時間が多いのも 読書時間が増えない理由のひとつ。
美容院、乗り物の中、待合室、じっとしていることを強いられる環境に、わざと身を置いて、この秋。もっともっと読もうっっっと。
「腹の虫」がおさまらない。
誰に対して?人を 状況を 今ある環境を なかなか認めたり許すことが出来ないでいる?と感じた時の自分に対して。どーしてよ。なんでなのよ。なぜにそんな自分なのよ。イラっとしている自分に 喝。
「塞ぎの虫」。
五木寛之さんが著した「大河の一滴」の中で、「ふさぎの虫」について触れていた。曰く、
「物事をすべてプラス思考に、さっと切り替えることのできる器用な人間ばかりならいいだろうが、実際にはなかなかうまくいかない。
私たちはそんなとき、フーッと体から力が抜けていくような、なんともいえない感覚をあじわう。むかしの人たちは、そういった感じを、「こころ萎えたり」と、言った。「萎える」というのは、ぐったりと虚脱した状態。
衣服がくたくたになったり、花や葉がしおれている様子も、「萎える」と表現する。
心が萎えたとき、私たちは無気力になり、なにもかも、どうでもいいような、投げやりな心境になってしまうものだ。
実際に手や足もけだるく、自分のからだではないような感じさえしてくる。そんな厄介な心境を、ロシア語では〈トスカ〉というらしい。
明治の小説家でロシア語にも堪能だった二葉亭四迷は、ゴーリキーの中篇小説を訳して、『ふさぎの虫』といういささか下世話すぎる題名をつけた。
「ふさぎの虫」に取り憑かれたとき どうするか。
結局は、時間が解決してくれるのを待つしかないのだ。時の流れは、すべてを呑みこんで、けだるい日常生活のくり返しのなかへ運びさっていく。」と。
ふさぎの虫は どうやら追い払うものではなく、どこかへ這い去っていくのを 待つんだな。じっと。
「勉強の虫」。これに取り憑かれたことは... ないな。 まぁっったく。
でも。今日の番組収録で、ゲストのかたが「学ぶ」という言葉は「真似ぶ」から来ているんだって。どんどん真似しよう。コピーしよう。そうして、いつか自分のスタイルがそこから生まれてくる。と言った。
うぅーん。勉強になるなぁ。
人から 人の言葉から学ぶ『勉強』は 好き。いろんな人にたくさん出会って 少しずつでも学んでいく虫に 我はなりたい。
でんでん虫 全然ムシと歌ってた あれは "あのねのね" だったかしらね
2006年10月02日
この歳まで生きて 初めての
「秋の味覚狩りツアー」。テレビ欄に踊る文字にそそられる今日この頃。うぅむ。私も 愛の狩人ならぬ、旨いもの狩人と化していますな。
先週号は、「笑うアシカ」ちゃん大フィーチャーだったので、本来の目的であった 勝浦の戻り鰹。いかに旨かったかの描写をしていなかったから、ここで触れておく。
(そんな、人の食った旨いものの話聞かされてもなぁ...ですけどね(^^;))
まず。私は 高知の「藁焼き鰹の叩き」の大ファンである。
一度、ヒルアヴェの中で紹介するおり、お試しで家で食べてきて下さい。と、営業の人から渡された冷凍のひとふし。解凍後に自宅で食したら。あら、香ばしい。このえもいわれぬ香り。この世にこんな旨いもんがあるなんて。
それから、盆暮れの付け届けの品リストのかなり上位に、この「○○水産の鰹の叩き」は居座ることになる。
だから今回、「勝浦の鰹を食べたら、もう他のカツオは食べられなくなりますよ」というイシイさんの言葉を聞いても、(ふふ。アレには負けるだろう...)と たかをくくって行ったのよね。
イシイさんは日本の柔道界で大活躍をされたアスリートで、現在、地元の国際武道大学で教授として教鞭を執っていらっしゃる。海外からの留学生も多く250名の部員を誇る柔道部の男臭くも真摯・真剣な稽古を見学させていただいた後、我々は勝浦市内の食事処「番屋」へと 導かれていったのであった。(じゃかじゃん!)
玄関の佇まいからして 洗練されている。内装が 素敵。
てっきり、居酒屋炉端風の店を想像していたので、勝浦という港町に似つかわしくない そのオシャレさに 少々とまどいも禁じ得ない。
(ほら、都会人のエゴっていうんでしょかね。ここでは野趣あふれる世界を求めたりするわけだ。)
けれども、イタリアンテイストな前菜はイカの唐揚げを混ぜ込んだサラダだったり、真鯛のカルパッチョだったり、いちいち「おいひぃ♪」と歓声をあげる我々。良い腕の板前&シェフが居る店なのだなと感心した。
そうしてついに登場したのは 大皿に盛られた なんと立派な!
生の鰹さまであった。かみさま ほとけさま かつおさまぁ...
我々は ひれ伏した。
厚みが2cmはあります。一切れの直径、6cm超です。ひとくちで食すのをためらう大迫力です。どこまでも魅惑の赤身は 深紅の微笑みを浮かべて、キラリと輝いております。
う、旨そう。。。
ニンニクとショウガは添えてありますが、「薬味は一切つけずに、醤油だけで食べてください。」
確信に満ちた口調で イシイ教授は のたまう。
さ、さいですか。ほな。。。
ちょっとだけ醤油に浸し、えいやっと 口に運ぶ。
一同。沈黙。。。
こ、これはぁぁぁぁ?!!!
うまい。
うますぎる。
新鮮なものだけに与えられた弾力とともに、舌で押し付けると、甘みにも似て広がるのは、ねっとりとした と形容したいような深く濃厚な味。脂がのっている。なのに、どこまでも 清廉潔白なのだ。
カツオってこーゆー感じよね... と思っていた生臭みが一切!全く!全然!微塵も 無い。
これじゃぁ、ニンニクやショウガなんて ほんと 必要ないわね。
この鰹。
特に美味しい今の時期の 戻り鰹のなかでも、「日戻り鰹」なのだという。
遠洋漁ではなく、夜明けとともに釣り上げ、その日の夕方には水揚される 最も新鮮な鰹なのだ。だから鮮度が格段に違うのだと。
築地では 超高値で取引される 希有な鰹なんですってばってばさ。
あまりの美味しさに へどもどしちゃってエヘラ笑いしか浮かんでこない。
すごいなぁ。
これまで生きてきた半生 20年と少し。(少しウソ)
長生きするもんやなぁ。
この世には わかったつもりで、全然知らなかった魅惑のワンダーランドが まだまだあるんだわ。
その後も続く、黒ムツの煮魚(アクアパッツァのようにサッとの火の通り加減が絶妙!)やら、アワビの磯焼き(コリっとフワっと歯ごたえがあるのに柔らか〜い♪)やら、ここ勝浦でしか、っていうか、この店でしか味わえないような美味が続き、あぁ勝浦まで来て本当に良かった。。。と涙ぐむ思いであった。
そこの土地に行ってでしか 味わえないもの。
それが何よりの贅沢なんだと思う。
生ガツオだなんて。。
自分は サッと炙ったのじゃなきゃ... なんて まだ言ってる人。
四の五の言いません。即。千葉県勝浦へ ゴー!です。
鰹の認識が変わること 請け合います。
また行きたいわぁ。
美輪明宏 音楽会<愛>2006
嬉しいことに この秋も 美輪明宏さんの音楽会、パルコ劇場にて観賞させてもらいました。またしても落涙を止められなかった 素晴らしい歌唱。
心がとても 喜んでいました。
渋谷パルコの9階にエレベーターで上っていくと、ロビーには誰のどのコンサートよりも多い、スタンド花、胡蝶蘭、花 花 花。。
そのどれもが 各界、芸能界の著名人達からの贈り花で、美輪さんがいかに多くの人々に敬愛されているか 伺い知れます。
幕が上がれば そこは大正ロマンから戦中戦後の日本の文化がアールデコ調に描かれた コラージュ的意匠の舞台。
ほんっと 美しいです。勿論、全て美輪さん監修です。
今回は第一部が ご本人の半生記とも言える自作のオリジナル曲の数々。
自分を育んだ町を歌った「長崎育ち」から始まって、従軍慰安婦の痛みと哀しみを描いた「祖国と女達」では「大日本帝国万歳 万歳 万歳」と連呼して終わる衝撃の歌詞。
精一杯の皮肉と 反戦・平和の思いがこもった 魂の唄でした。
その後は、シャンソンとの出逢い、銀座の銀巴里に多くの文豪、文化人が集ったこと、彼らとの繋がりを語りながらの「いとしの銀巴里」やら、1957年、神武以来の美少年と謳われた頃、世に衝撃を与えた美貌で大ヒットさせた「メケメケ」など、なんと軽やかなステップで歌い踊ることか。
華麗、流麗、見とれるステージが続きます。
合間には 万人の心に直接染み通っていく〈御法話〉のようなトーク。
皆、信者となり頭を垂れてその話を聞くのです。歯に衣着せぬ辛口トーク(体勢批判、政治批判も)でさえ、全て愛情から発せられていることに気付かされます。
そうして第一部の最後に「ヨイトマケの唄」。
この曲に励まされ、戦後 しゃにむに生きてきた人が 日本にどれほどいることか。
かつて、大竹しのぶさんや沢田知可子さんの歌唱にも涙してしまったけれど、美輪さん本人が絞り出すように歌うそれは、鬼気迫る親の愛、子の愛、肉親の愛の有り難さ、何くそ負けるかのモチベーション、人として大事にすべきこと、なぁんて諸々が頭を巡り、またしても目からビューっと吹き出すの図。さながらマーライオンと化す私。
この唄で一部が終わって 即、照明が点くなんて反則です。。。
第二部は シャンソン。
幕の開いた瞬間、満員の観客席からは溜息混じりのどよめき。そこには、舞台を埋め尽くした花々がありました。バックホライゾントまで描かれた花達は、まるで夜空へ続くミルキーウェイのようで、あまりに美しかったから。
花に埋もれるようにスカーレット・オハラのようなドレス姿で登場の美輪さん。
き・れ・い。。。
またしても ここで 心が 感性が 鍛えられるのよ。
美輪さんの歌うシャンソンは もはや 人の生きざま そのものです。
人生の縮図、まんま人生なのよね。
自在な発声で、囁くような始まりから50cm はマイクを離してもビリビリ響くような朗々たる歌声。
ドレスを着た立ち居振る舞いは 世界一の綺麗さです。裾をパッと跳ね上げ、振り向く様に、全ての「美」が、美輪さんの「美学」が集約されているのですから。
男が自分の元を去っていったあと精一杯の強がりを言っている女の 一瞬に見せる弱さ、涙を 唄のラスト、振り返りざまの後ろ姿に 表現し尽くしている。
美輪さんが 唯一無二のの舞台俳優なのだと 思い知らされる瞬間です。
優しいメロディを淡々とした歌詞で歌う「思い出のサントロペ」は、ドラマチックなエンディングが アランドロンの映画「太陽がいっぱい」を彷彿とさせ。
たった一曲の歌で、どうしてここまでにドラマが描けるのでしょう。そこに生身の人間の喜怒哀楽、息づかいまでが どうしてこんなに聞こえてくるのでしょう。
「愛の讃歌〜エディット・ピアフ物語〜」と題した春の舞台で 私を打ちのめしてくれた「愛の賛歌」(以前の記述を ちょこっと思い出してね)
Target="_blank">http://djmoko.livedoor.biz/archives/2006-05.html#50634507
で、この日のステージは幕が下りるかと思いきや、あの歌(!)で締めくくってくれるなんて。
(どの歌かは これから行くかたの お楽しみに。)
凄いです。凄すぎて、ただただ震えてしまいます。
10/9から11/12まで続く全国ツアー、(全てチケット完売ですが)この「美輪明宏音楽会<愛>2006」を聴きに行かれるかた、心たおやかに 覚悟して お出でませ。
土産に買い求めた1975年作品の再発アルバム「白呪」も すごい。ぞ。
今回は、美輪さんが丹波哲郎さんのお通夜列席のため、舞台終了後、即退出されるとのことで 楽屋へ伺うこと 叶いませんでしたが、次回にはきっと。この口で言葉で、この感動を 伝えたいものである。
(いっつも、目の前にいらっしゃると ドキドキはふはふして何も喋れなくなってしまう ダメな私ね〜〜)
オーラの泉は 美輪さん自身の身体から こんこんと湧き出ている。
いつ涸れることもなく。
きっと100歳でも200歳までも このおかたは 生き続けるだろうと 信じてしまう そんな夜 でした。

