こんなに『落語』に魅せられたのは、一体いつの頃からか。
幼少のみぎり、子守歌代わりに せがんで聴いたラジオ寄席からその片鱗はあったけど、大人になって、生でライブで その活き活きとした表情とともに繰り出される世界に ぞっこんとなって、我々 言葉を生業とする者の 一番の手本だと 機会あるたびに高座に足を運ぶのだが。

『志の輔らくご in PARCO 2008』に行った。

立川志の輔 なる落語家。

 話芸とか 笑売人とか 日本の伝統芸能ここに有り。だとか。そんな言葉じゃ言い尽くせない ものすごい「凄さ」が、圧倒的表現世界が そこにあったのだ。

15分間の中入り挟んで全3席。それをお弟子さんもゲストも無くたった独りで語り通す。気がつけば 3時間を優に超えている。

軽くジャブで送り出す「枕」は、旬でホットな話題から地球温暖化を憂うる 重量級の時事ネタ。
大爆笑の中、一席目の新作「意義なし!」に突入、我々も吹込まれるように 話の中へ入っていく。

そう。志の輔さんの落語は、「話を聴いて想像する」じゃなく、その登場人物達と同じ空間にいて、一緒にその場に参加している気分にさせる リアリズムの世界なのだ。
ここでは、マンションの自治会の話し合いシーン。防犯をめぐっての議論百出、その愚かしさに笑わせられるも、思い当たるフシも百出で、一緒になって無い知恵を絞り出す気分になる。

噺の後にはバックのホリゾントを活かした演出(なんでしょう?♪)。
これが地球規模の現状につながっていて、枕、噺の本編、この演出と 三段落ちで、強烈な時事への揶揄となっているのだ。

それが解ったとき「快哉!」と叫びたくなる。

「バールのようなもの」を聴いた時にも感じたけど、知的レベルが 相当高い創作落語なんだな。

志の輔さんの落語ファンがこんなに多いのも、(だって、恒例となった この新春一ヶ月公演は全23回、のべ1万2千人動員、チケット瞬時完売ですよ!)このインテリジェンスと、胸を空くような「よく言ってくれたぁ〜♪」という爽快感があるからじゃないかしら。

続く古典落語は「宿屋の富」。富ふだ(今で言う宝くじ)を巡る悲喜こもごも。ここにおいての人間描写は まさに至芸。生きていく上での人間の滑稽さを、愛情と 若干の意地悪な視点をもって描いていく。

そう。志の輔さんって意地悪なんだよ。
チャゲさんの番組にゲストに入っていただいた時、小川、徹底的にいじめられましたもん。
でも、そのイジメが嫌じゃないの。マゾヒスティックな気持ちに火を点けるのも特異な才能か。

この古典は 幾つか 日替わりで演じられているもよう。

そうして15分の中入り。ホットドッグとポタージュスープで胃も温めながら、前半の凄さを反芻すること また楽し。

いよいよ最後の三席目。これが映画化された「歓喜の歌」。
古典ならいざ知らず、創作落語が原作となって映画になるなんて、前代未聞じゃないかしらん。番組で宣伝した時から楽しみにしていたのだけれど、それを映画の前にまず、志の輔さんの落語で聴けるなんて、始まった途端、小躍りしたい心境だった。

これは リアルの世界だ。

話芸じゃない。そこにすべてのシーンが 登場人物が全部見えてくる。
顔も表情も皺の本数まで、着ている服装も、髪型も、食べてるラーメンのスープの色も、壁のシミも。
生きている、生きていく 一人一人の人生のバックボーンも。

すべて。すべて。

見える。見えてくる。

こんな落語があったんだ。こんな表現世界があったんだ。

人情噺というカテゴリーがあるけれど。
人の心の機微を こんなふうに語って描いていけるんだなぁ。。。

最後は ただただ滂沱の涙。
目の幅と同じにボーボー 涙があふれて困った。

終わって楽屋を訪ねたとき、「志の輔さんは富山の宝です。」と、白エビに寄せるようなコメントを発してしまった私だが。

今、間違いなく言える。
「志の輔さんは 日本の宝。ナショナル・トレジャーです。」

日本一チケットが取りにくい落語家の一人 立川志の輔さんの世界。
まずは 映画で体感してみてください。

来る2月2日、シネカノン配給で全国ロードショー公開。
「歓喜の歌」
「歓喜の歌 映画公式サイト」
観たら、また みんなで感想を言い合いましょうね。