夏が近づくと聴きたくなる音楽。
いろいろあるけど、涼やか、大人、静かな情熱を感じる...と言えば「ボサノヴァ」。
先週のNHK session2009の収録は「中村善郎ボサノヴァトリオ」、日本のボサノヴァギター&ヴォーカルの第一人者・中村善郎さんを中心とするトリオだった。
ボサノヴァは1950年代中期に、ブラジルはリオ・デ・ジャネイロ在住の若手ミュージシャンたちによってつくられた音楽。
ジョアン・ジルベルトやアントニオ・カルロス・ジョビンらが中心となって、サンバを元にし、既存のブラジル音楽に飽きたらず始めたもの。
Bossa Novaの"Nova"はポルトガル語で「新しい」、"Bossa"は「ふくらみ」。だから"Bossa Nova"とは「新しい傾向」「新しい感覚」という感じ。
1958年、アントニオ・カルロス・ジョビンとヴィニシウス・ジ・モラエスが作曲し、大歌手エリゼッチ・カルドーゾが歌い、ジョアン・ジルベルトがバックでヴィオラゥン(ナイロン弦のクラシックギター)を弾いた“Chega de Saudade”(シェガ・ジ・サウダージ、邦題:想いあふれて)という曲が ボサノヴァ第1号といわれている。
以降、都市部の若者を中心に熱狂的に受け入れられていく。
1959年、アカデミー賞外国語映画賞受賞のマルセル・カミュ監督のブラジル・フランス合作映画「黒いオルフェ」の劇中歌で多くのボサノヴァが歌われたことや、1963年、ジョアン・ジルベルトがアメリカのジャズ・サックス奏者、スタン・ゲッツと共演したアルバム『ゲッツ/ジルベルト』がアメリカで大ヒットし、 この中でジョアンの妻であるアストラッド・ジルベルトが英語で歌った「イパネマの娘」がブレイクしたことも大きなきっかけとなり、ボサノヴァは 世界中に広まっていった。
その後、ブラジル本国ではボサノヴァは低迷していくが、ボサノヴァをベースとした新しい音楽、MPB(Musica Popular Brasileira(エミ・ペー・ベー)ブラジリアン・ポピュラー・ミュージックとして定着。
世界的に、特に日本とヨーロッパでは ボサノヴァは廃れることなく愛され続けている。
さて、6月11日 木曜日。この夜 中村善郎さんは パーカッショニスト・ヤヒロトモヒロさん、フルート奏者・城戸夕果さんと共に、多ジャンルなブラジル音楽を届けてくれた。
中村さんは1977年の5月から約2年ブラジルをはじめ南米を遊学し、ボサノヴァと出逢った。
旅先の様々なふれあいの中で、これは決して義務教育で学んだというタイプの音楽ではない。と、痛切に感じたという。
街角でギターを手にし奏でている人々が先生。
そこに譜面はない。ボサノヴァのギターコードというのも、ちゃんと会得しようと思うと複雑だが、基本は3コードで、余ってる指で押さえてたら こうなっちゃった...というようなシンプルなもの。
そんなブラジルでの音楽へ対峙する姿勢は「サッカーと同じだな」と感じたという。
日本のようなサッカー教室とか、少年サッカークラブに通って学んでいくのではなく、空き地で常にボールを蹴っている。だからこそ圧倒的に強くなる。
こんな質問をしてみた。
「ボサノヴァの歌い方って、小さな声でささやくような感じですよね。数年前に観たボサノバ誕生のドキュメンタリー映画「ディス・イズ・ボサノヴァ」という映画では、「アパートの一室で皆でワイワイ曲作りをしていたら、下の部屋からうるさい!って天井を棒で突いてきた。だから、だんだん小さな声でささやくように歌うようになっていったんだよ」と冗談っぽく証言している人が居たけれど、それは本当ですか?」と。
中村さん曰く
「それはあくまでジョークでしょうね。決して小さな声ではない。現に、ジョアン・ジルベルトの歌は 5000人の客席の最後列の席の人までも確実に届いていく。その表現は まるで日本の落語のように活き活きと魂を持っている。ささやいているようにみせかけて、そうじゃないんだ」と。
ボサノヴァは 密室で小さく 背中を丸めて臨むような音楽ではなく、広い大海原、広大な景色が見えてくる。
広い広い大地で 伸びをするような音楽なのだ と。
なんだか 目からウロコ の話だった。
ジョアン・ジルベルトは「ボサノヴァ」という看板の後ろに居る人物ではなく有る意味、世界一わがままで我を通す人。
また、ボサノヴァのミューズと称されるナラ・レオンという女性は自己表現の強い意志を持った人。
「ボサノヴァ」は もはやジャンルとしてひとくくりに出来ない、アーティストの一人一人が別のアプローチをしていく音楽なのだと。
我々 日本人にとって、ブラジルは地球の裏側の最も遠い国。
遠いものに憧れるエキゾチックな魅力を覚えると同時に、何か共通するセンチメンタリズムがある。
それを称して「サウダーヂ」。
ポルトガル語で「愛する人への想い、哀愁、郷愁、追慕、懐かしさ、未練、懐旧の情、愛惜、孤愁」などと訳されるが、「もう戻る事の出来ない無邪気で日々の悩みも無く楽しかった幼き頃の日々への想い」などともされ、こうなると実はぴったりの日本語の言葉は見つからないという。
演奏の合間、舞台袖で教えてくれた 城戸夕果さんの言葉。
「ジャズの根底にはブルースがある。そしてブラジル音楽の根底にはサウダーヂがある。」
それは 明るさ の中に一点描き込まれる 暗さ。光 の裏の 影。
サウダーヂを感じて聴いていくボサノヴァ。
魅力だよね。
よかったら。
あなたも この夏、もっとボサノヴァを。。。
中村善郎ボサノヴァトリオの放送は ちょっと先。
全国のNHK-FMで
9/20(日) 22:00〜22:55
再放送は9/25(金) 10:00〜10:55 ON AIRの予定です。
(総選挙などが間に入ってきた場合、ずれる可能性があります)
いろいろあるけど、涼やか、大人、静かな情熱を感じる...と言えば「ボサノヴァ」。
先週のNHK session2009の収録は「中村善郎ボサノヴァトリオ」、日本のボサノヴァギター&ヴォーカルの第一人者・中村善郎さんを中心とするトリオだった。
ボサノヴァは1950年代中期に、ブラジルはリオ・デ・ジャネイロ在住の若手ミュージシャンたちによってつくられた音楽。
ジョアン・ジルベルトやアントニオ・カルロス・ジョビンらが中心となって、サンバを元にし、既存のブラジル音楽に飽きたらず始めたもの。
Bossa Novaの"Nova"はポルトガル語で「新しい」、"Bossa"は「ふくらみ」。だから"Bossa Nova"とは「新しい傾向」「新しい感覚」という感じ。
1958年、アントニオ・カルロス・ジョビンとヴィニシウス・ジ・モラエスが作曲し、大歌手エリゼッチ・カルドーゾが歌い、ジョアン・ジルベルトがバックでヴィオラゥン(ナイロン弦のクラシックギター)を弾いた“Chega de Saudade”(シェガ・ジ・サウダージ、邦題:想いあふれて)という曲が ボサノヴァ第1号といわれている。
以降、都市部の若者を中心に熱狂的に受け入れられていく。
1959年、アカデミー賞外国語映画賞受賞のマルセル・カミュ監督のブラジル・フランス合作映画「黒いオルフェ」の劇中歌で多くのボサノヴァが歌われたことや、1963年、ジョアン・ジルベルトがアメリカのジャズ・サックス奏者、スタン・ゲッツと共演したアルバム『ゲッツ/ジルベルト』がアメリカで大ヒットし、 この中でジョアンの妻であるアストラッド・ジルベルトが英語で歌った「イパネマの娘」がブレイクしたことも大きなきっかけとなり、ボサノヴァは 世界中に広まっていった。
その後、ブラジル本国ではボサノヴァは低迷していくが、ボサノヴァをベースとした新しい音楽、MPB(Musica Popular Brasileira(エミ・ペー・ベー)ブラジリアン・ポピュラー・ミュージックとして定着。
世界的に、特に日本とヨーロッパでは ボサノヴァは廃れることなく愛され続けている。
さて、6月11日 木曜日。この夜 中村善郎さんは パーカッショニスト・ヤヒロトモヒロさん、フルート奏者・城戸夕果さんと共に、多ジャンルなブラジル音楽を届けてくれた。
中村さんは1977年の5月から約2年ブラジルをはじめ南米を遊学し、ボサノヴァと出逢った。
旅先の様々なふれあいの中で、これは決して義務教育で学んだというタイプの音楽ではない。と、痛切に感じたという。
街角でギターを手にし奏でている人々が先生。
そこに譜面はない。ボサノヴァのギターコードというのも、ちゃんと会得しようと思うと複雑だが、基本は3コードで、余ってる指で押さえてたら こうなっちゃった...というようなシンプルなもの。
そんなブラジルでの音楽へ対峙する姿勢は「サッカーと同じだな」と感じたという。
日本のようなサッカー教室とか、少年サッカークラブに通って学んでいくのではなく、空き地で常にボールを蹴っている。だからこそ圧倒的に強くなる。
こんな質問をしてみた。
「ボサノヴァの歌い方って、小さな声でささやくような感じですよね。数年前に観たボサノバ誕生のドキュメンタリー映画「ディス・イズ・ボサノヴァ」という映画では、「アパートの一室で皆でワイワイ曲作りをしていたら、下の部屋からうるさい!って天井を棒で突いてきた。だから、だんだん小さな声でささやくように歌うようになっていったんだよ」と冗談っぽく証言している人が居たけれど、それは本当ですか?」と。
中村さん曰く
「それはあくまでジョークでしょうね。決して小さな声ではない。現に、ジョアン・ジルベルトの歌は 5000人の客席の最後列の席の人までも確実に届いていく。その表現は まるで日本の落語のように活き活きと魂を持っている。ささやいているようにみせかけて、そうじゃないんだ」と。
ボサノヴァは 密室で小さく 背中を丸めて臨むような音楽ではなく、広い大海原、広大な景色が見えてくる。
広い広い大地で 伸びをするような音楽なのだ と。
なんだか 目からウロコ の話だった。
ジョアン・ジルベルトは「ボサノヴァ」という看板の後ろに居る人物ではなく有る意味、世界一わがままで我を通す人。
また、ボサノヴァのミューズと称されるナラ・レオンという女性は自己表現の強い意志を持った人。
「ボサノヴァ」は もはやジャンルとしてひとくくりに出来ない、アーティストの一人一人が別のアプローチをしていく音楽なのだと。
我々 日本人にとって、ブラジルは地球の裏側の最も遠い国。
遠いものに憧れるエキゾチックな魅力を覚えると同時に、何か共通するセンチメンタリズムがある。
それを称して「サウダーヂ」。
ポルトガル語で「愛する人への想い、哀愁、郷愁、追慕、懐かしさ、未練、懐旧の情、愛惜、孤愁」などと訳されるが、「もう戻る事の出来ない無邪気で日々の悩みも無く楽しかった幼き頃の日々への想い」などともされ、こうなると実はぴったりの日本語の言葉は見つからないという。
演奏の合間、舞台袖で教えてくれた 城戸夕果さんの言葉。
「ジャズの根底にはブルースがある。そしてブラジル音楽の根底にはサウダーヂがある。」
それは 明るさ の中に一点描き込まれる 暗さ。光 の裏の 影。
サウダーヂを感じて聴いていくボサノヴァ。
魅力だよね。
よかったら。
あなたも この夏、もっとボサノヴァを。。。
中村善郎ボサノヴァトリオの放送は ちょっと先。
全国のNHK-FMで
9/20(日) 22:00〜22:55
再放送は9/25(金) 10:00〜10:55 ON AIRの予定です。
(総選挙などが間に入ってきた場合、ずれる可能性があります)
映画「トーク・トゥ・ハー」で、カエタノ・ヴェローゾがプール脇で演奏した
"Cucurrucuc��� paloma" が印象に残っています。
Caetano Veloso も 歌の題名も仲々覚えられないので、
YouTube で 「ククルクク」で検索したりします (;^_^A
あと、ジャミン・ゼブのコージローさんが、最近
Gretchen Parlato グレッチェン・パーラートがオキニと言ってました♪