山口きらら博スタンプ 10年後の もこさんへ

こんな書き出しだった。
よく知る友人からのハガキ。

山口の友人と「山口きらら博」に来ている。という。
フットワークの軽い彼女のこと、そうか、今も旅を楽しんでいるんだな
と合点し、いや、待てよ。

いろいろ、忙しいはず。昨日も、込み入ったことで、メールをやりとりしたばかり。

よく見たら。

なんと、10年前に投函されたハガキだった。

博覧会において、10年間保存した後、宛先へ届けるという
夢のある企画をおこなっていたのだろう。

彼女がこのハガキを書いた日の消印は、2001年9月16日。
正確には、丸10年目より、2ヶ月弱早く届いたことになる。

2001年の9月。何やっていたけなぁ。。。
そう思いながら、ハガキの文面を読み進むと。

「5日前にNYにテロが・・・」とある。

そうか。
あの年だったのか。

ヒルサイド・アヴェニューを担当していて。
1年に一度の夏休みをもらって。
9月14日出発の予定で、まさに私は、大好きな街・ニューヨークに行こうとしていたのだった。
もちろん、飛行機は飛ばず、ニューヨーク行きは中止になってしまったけれど。

その およそ一ヶ月後。
片雲にさそはれて、漂白の思いやまず。私は、単独 ニューヨークに向かったんだっけ。

ニューヨークマラソンで、多くのニューヨーク市民が 喪章をし、遺影を胸に、
また頬にアメリカ国旗をペイントして、走り抜けていく様子を、
私はセントラルパークの沿道で声援を送ったものだった。


10年の時を経て、今度は日本が
多くの尊い人命を奪う 恐ろしい天災に見舞われるなど、想像も出来なかった あの年。

「もこさんは今 どんなふうに ”風の人” でいるんだろう」
と、ハガキの文章にあった。

惜しい。
今、私は風邪っぴきの人である。



もとい。

この「風の人」とは、番組ゲストで入ってくれたシンガーソングライター・あんべ光俊さんに言われた言葉だ。
ふるさとの町おこしに大事な存在となる 外からの刺激を与えていく人 という意味である。

当時、私は、出張放送をはじめ、日本全国、時には世界を旅し、
それぞれの地の 地域活性化のお手伝いをしていた頃 だったからね。

今。
こうやって、傷ついたふるさとのために、「みやぎびっきの会」の一員として、
出来ることを出来る形でやっている私。

なんだか、「土の人」となってきているんだなぁと つくづく思う。

「戦いのない時代だろうか。
幸せな時代だろうか。

それは、今(2001年)の私たち次第なんでしょうね。」

と、彼女のハガキの文面は結ばれていた。

敵国ではなく、自然の猛威と、無力な政府
と 戦う相手は違っていても
必死に対峙している今年、2011年は、ある意味、「戦いの時代」なんだろか。

いや、内面の充実という点からいえば、
大きな不幸を味わったからこその 小さな喜びを感じられる時代なんだろか。

まだまだ 結論はでない。


山口きらら消印10年前から届いたハガキ。

しばし、来し方行く末に思いを巡らす。

10年前の友人に感謝。


2021年。10年後の自分。
さて。
なにしているんだろ。



あすは檜に あすはヒノキに。

ちかづきたいけどね。