とうとう3月11日の朝がやってきました。

前の夜、東北福祉大の鈴木先生と熱い話をした興奮が残っていたのか なかなか寝付けず、
ベッドに入ったのは午前3時。

朝7時15分にホテルロビーに集合、ここで
びっきファミリーとなってくださった 石巻市出身の女優・涼風真世さんと合流し、
マイクロバスに乗って、一路 仙台空港へと向かいます。

空港でおこなわれる「東日本大震災支援  東北観光博×東北は負けない」
オープニングセレモニーに参加するのです。

ブラック・レディース

控え室にて メンバーで。
まずは女子たち。
喪服に身を包んでいるので、ちょっとした迫力ですね。





びっきメンバー

この時点で、まだ稲垣潤一さんは到着していません。
仙台駅からタクシーを飛ばして向かっています。


後列
涼風さん、小川、未森ちゃん、かのちゃん、庄子真理子さん、高橋佳生さん、
前列
小柴さん、宗さん、山寺くん

ガーベラと共に
ステージ袖にて出番を待っていると、この花を。。
と手渡された 白いガーベラ。

ガーベラと戯れる大造さんが、なんだかキュート♪

そして、ギリギリセーフで稲垣さんが到着!
高橋佳生さん、庄子真理子さん、さとう宗幸さんの歌のあと、
いよいよ びっきメンバー揃い踏みでステージへ。
お花いっぱいのステージ
司会は、OH!バンデスの浮ヶ谷美穂アナウンサー。
呼びこむ順番が、到着したばかりの稲垣潤一さんからで、
マイクのコードが絡まったり、ちょいとバタバタしてるのもご愛嬌。
ステージには たくさんの白い花が飾られています。


空港ステージ満席で、立ってご覧になっているかたも いっぱい。
朝の10時半。
こんな早い時間からお越しくださった皆様に感謝し、
びっきの会の活動を報告させていただいたあと
皆で、「虹を架けよう」を届けました。

二番の歌詞に
♪名取川 亘理(渡り)空港から 僕らの夢は世界へ広がっていくよ♪

とあるのですが、まさにあの日、津波の濁流に飲み込まれた ここ 仙台空港が
関係の皆様の必死の努力で、早期に開業し、そして一年経った今は、こんなに綺麗になって
空の玄関口として たくさんの方々を迎え、送り出しているのだと思うと、
自然と涙があふれてきて 困りました。
我々、ステージの上の人間も手に手にガーベラを持って、そして会場のお客様にも様々な白い花が配られ、皆、そのお花を 歌に合わせて左右に振りながら応援してくれています。

ほんとうに温かい雰囲気の中、セレモニーは終了しました。

すぐに、マイクロバスに乗り込み、今度は女川へ向けて出発です。

名取川東部道路を進み、空港からほど近い、名取川を実際に渡る際には

また、「虹を架けよう」の歌詞を口ずさんだりもしていたのですが。。。




瓦礫2瓦礫廃車






石巻から女川へ向かう240号線沿いに、延々と続く 瓦礫や 積み重ねられた廃車の山を見て
一年も経って、まだ何も進んでいない。始まってもいない。。と
重苦しい気持ちでいっぱいになります。

女川の町
そして 女川の町に入って
あまりに変わってしまった光景に
びっきのメンバー、全員、言葉を失いました。

瓦礫は撤去されているものの、そのぶん、全く何もなくなっている町の中心部。
横倒しになったビルの残骸だけが 悲鳴をあげたまま転がっているようで。




家々のあったところは、土台だけが残されています。
喪服を着たご遺族が 元は御自宅のあったところに花をたむけている姿を、何組も見かけました。。。

そうして到着した女川町総合体育館には2千人を超える町民、ご遺族の皆様が参列、午後二時 ちょうどに
「東日本大震災一周忌追悼式」が厳かに始まりました。

最初に さとう宗幸さんが国歌斉唱。
「君が代」が このときには もの哀しく感じられます。

続いて、女川町長が式辞を、女川町議会議長、宮城県知事(教育長が代理)が追悼の辞、そしてお母様と祖父母を津波で亡くされた20歳の鈴木大介さんが遺族代表としての言葉を述べました。
彼は、震災を機に、通っていた関東の短大を退学し、石巻で勤めているとのこと。
悲しみを乗り超え、町の復興を誓う言葉に 胸 打たれました。

追悼式歌そうして、びっきの会メンバーが呼ばれ、
祭壇の前で「潮(うしお)の唄」を歌います。

この唄は、中国人実習生を避難させた後、ご自身は津波にのまれた さとう水産専務の佐藤充さんが、20年近く前に作詞・作曲したもので、町民の誰もが知っている愛唱歌となっているとか。

我々が、音資料として渡された音源は、潮騒の音から始まり、地元のおじさんバンド、セカンド・オーナーズで歌っている明るい唄。
来る途中のバスの中で、何度も何度も歌って練習してきたのに
聴いてくださっている女川町民の皆様が 涙を拭っている姿に また我々も歌いながら泣き。
ここはちゃんと合わせようと言っていた箇所も、ずいぶん ずれたりしたのですが、
思いを込めて歌わせていただきました。

特に、二番と三番で繰り返される歌詞

♪ 女川に生まれ 女川に育ち これからも俺達は ここで生きていく ♪

に、今の女川の方々の思いが全て集約されているようで、また 泣けてくるのです。

翌日、宗さんの担当しているテレビ番組「OH!バンデス」に、次のようなFAXが届いたそうです。

「私の両親は女川に住んでいて、震災で母がなくなりました。
きのう、女川で みなさんの歌を聴き、素直に泣く事ができました。
周りには、泣くことを我慢している人が たくさんいます。
私も今まで 泣くのをがまんして 笑ってました。
泣いて、母が戻ってくるのなら いっぱい泣きますが、
戻ってはきません。
だから、残された家族と がんばるしかないです。
また、女川の歌、聞かせてくださいね。

最後に、歌を聞かせてくれて ありがとう。
泣いてくれて ありがとう。
頑張ります。」



このFAXを読んで、また泣きました。

被災地の実情は、私も テレビの映像を観て なんとなくわかった気持ちになってもきましたが、
現地に足を運ぶと、全く違うことを感じます。

復興へ向けての道のりは なんと 遠く険しいのでしょう。

野田総理弔辞会場内でも同時中継でつなぎ 東京での追悼式の様子がスクリーンに映し出され、そうして迎えた14:46。
一分間の黙祷のあと。
野田総理は 復興への決意を述べていました。

12日に帰宅した時には、瓦礫処理について議論しあう国会中継をテレビで観ました。

けれども、国会議員や大臣たちの言葉は どこか机上の空論のように虚しく聞こえるのです。

今回は、ただの地震や津波災害ではなく、原発の被曝という問題が
全てを滞らせています。
被災地はかわいそうなのは解っている。でも。。。

痛みはどのように共有していけばいいのか

日本中が疲弊している今、最善の道が なかなか見つかりません。

当事者は、「助けてください」としか言えない。
最善の道は見つからなくとも、被災地を助けてください。と。
私も また
声を大にして叫びたい気持ちで いっぱいになってしまいました。

献花を終え、体育館を出て、びっきメンバーは、すぐ隣りの 女川第二小学校に移動。

実は。
ここで、女子ミニバスケットボールの県大会で優勝、全国大会出場を決めた「女川フィーバーエンジェルス」を激励しようとやってきたのです。

応援フィーバーエンジェルス校舎の入り口階段前で、選手たちの代表が挨拶。
被災して全てを失っている彼女たちに
全国大会に参加する旅費などを支援させてもらうため、
その御礼の言葉を言ってくれてます。

びっきの会を代表して、ここでは山寺宏一くんが挨拶。

皆で「虹を架けよう」を歌って、フレーフレーのエールを送り、

子供たちとハイタッチ選手たちと握手やハイタッチ♪

女の子たちの明るい笑顔に 
ほんとうに救われた思いになりました。



ものまね山ちゃん最後に山ちゃんが、得意の物真似で、
皆は大喜び。

さて、この顔は、誰を真似しているのでしょ♪




子供たちの元気なバイバイに見送られ、女川をあとにしました。



2012年 3月11日。

あの悪夢の日から丸一年。

日本中が祈りを捧げ、様々な特番や新聞等を見聞きして、いろんなことを感じたことでしょう。

まだまだこれからです。

特に 原発避難を強いられているかたにとっては、十年単位にわたる長い長い闘いです。


だれも他人事とは思っていない。思っていないとおもうけど、
自分だったら 自分の肉親だったら
その「想像力」を消さないで。

そして、見に行く。だけでいいから、
被災地に足を運んでみてほしいと あらためて思ったのでした。

さらに。
被災地に応援する気持ちを 自分の出来る形でおこなっていってほしいなと。

よろしくお願いいたします。

我々、みやぎびっきの会も なおいっそう がんばります。