通称「もこ伝」こと、小川もこの伝言板がリニューアルされた。
これまで使わせてもらっていた「クリックマガジン」が諸事情により閉鎖に。が、いろいろな経緯から、もこ伝は管理者が変わって再出発することになった。
特別な思いのこもったBBSである。どうか末永く、皆が訪ねてくれる場であってほしい。
小川もこのホームページ。
作りたいと切望したのは今から10年近く前にさかのぼる。パソコン関連イベントMCの仕事が複数舞い込むようになり、身近にコンピュータに明るい人間がいたものの、根っから文系アナログ人間の私に使いこなせる自信も意欲もなく。パソコン通信だメールのやりとりだと活用している人達を尻目に、ただ漠然とネットの世界に憧れの気持だけを持っていたあの頃。世の中、まだインターノット環境は整っていない。テレビは勿論ラジオ番組でも、ほんの一部の番組にようやく「番組ホームページ」なるものが出来、読み上げるURLなど不思議な呪文に聞こえたものだった。
そういえば、あの頃は「ドット」のことを「ピリオド」と呼んでいる人がほとんどだったなぁ。。私がドット、、と読むと、それが民謡のかけ声に聞こえるというので、ペンネームを「えんや〜どっと」にした...というかたもいらっしゃったっけ。
当時「ヒルサイド・アヴェニュー」というリスナー参加型の番組を担当していたが、そこには全国から あまりにも数多くの様々なメッセージが届く。番組で紹介できるのはほんのちょっと。こぼれてしまった中に、まだまだ素晴らしい内容のものがたくさんある。これをなんとか全国の人に紹介したい。私がホームページを作りたい!と切望したのは、ただただその一点からだった。薄っぺらな人間の私に、発信したい、、と欲する自分の思いや自分自身のことなどはあまりなく、とにかく番組のフォローがしたいだけ。早く作ろうよ!おしりを叩いても、当時の番組スタッフで重い腰を上げる者はいなかった。
それならば。。。パーソナリティーがやるしかない。まず当時、別曜日担当の石川小百合さんが、自分のページを立ち上げた。内容は彼女のプライベートページに色彩が濃く、私の目指しているものとは微妙に違う。おりしも97年5月、インターネットをテーマにする出張放送が福島県の白河でおこなわれることになった。それにあわせて、見よう見真似の突貫工事でページを創り上げたが、出来たのは目次の項目だけ。全て「近日公開!乞うご期待!!」の文字が躍るB級映画の予告編のよう。それでも、たった一日で千件以上の訪問者があって、既にネット人口は多いと実感したものだった。
少しずつ少しずつ体裁を整えながら、メールで頂いたものや、当初の目的の当時ほとんどファックスで届いていたメッセージを手打ちでパソコンに打ち込んでホームページにアップする。これは気の遠くなるような作業だった。そこで急務は皆が気軽に書き込める掲示板システムを作ること。これなら番組テーマも皆に書き込んでもらえる。
私にはどうやっていいかわからない。どんなページがあるのだろう、、とネットサーフィンをしていた時、FM山口のホームページにたどり着いた。そこで、とあるチャリティーの活動を通して下関のインターネットサービス会社「チップス」とそこに働く濱川さんを知ることになる。何度も何度もメールのやりとりを繰り返すうち、濱川さんとは同志というか戦友のような気持が芽生えていく。そうして彼のご厚意で、当時から先進のシステムで稼働していた伝言板システムを使わせてもらうことになったのだった。感謝。
もこ伝。ここは私にとって何倍も生きた気持になれる人生の縮図だ。
喜怒哀楽、様々なやりとりがこの伝言板上で繰り広げられてきた。もっと頑張って前進せねば、、と叱咤激励をいただく場でもある。生きている時間は限られている。
そこで一人でも多くの人に出会う機会をもらえるのは、やっぱり幸せなんだと思う。時に泣いたり傷つけたり傷ついたりするとしても。臆病にならず、ゆっくりじっくり こみゅにけーしょんしていこう。
リニューアルされた今も、この5年分以上の過去ログは読むことが出来ます。心が疲れたとき、ふっと時間が出来たとき、そんな昔にちょっとだけ。あなたも足を踏み入れてみてください。時の流れを感じつつ。たのしいよ。そして、また色々な足跡をそこに残してみてください。あなたのおいでを待ってます。
http://djmoko.tip.ne.jp/
これまで使わせてもらっていた「クリックマガジン」が諸事情により閉鎖に。が、いろいろな経緯から、もこ伝は管理者が変わって再出発することになった。
特別な思いのこもったBBSである。どうか末永く、皆が訪ねてくれる場であってほしい。
小川もこのホームページ。
作りたいと切望したのは今から10年近く前にさかのぼる。パソコン関連イベントMCの仕事が複数舞い込むようになり、身近にコンピュータに明るい人間がいたものの、根っから文系アナログ人間の私に使いこなせる自信も意欲もなく。パソコン通信だメールのやりとりだと活用している人達を尻目に、ただ漠然とネットの世界に憧れの気持だけを持っていたあの頃。世の中、まだインターノット環境は整っていない。テレビは勿論ラジオ番組でも、ほんの一部の番組にようやく「番組ホームページ」なるものが出来、読み上げるURLなど不思議な呪文に聞こえたものだった。
そういえば、あの頃は「ドット」のことを「ピリオド」と呼んでいる人がほとんどだったなぁ。。私がドット、、と読むと、それが民謡のかけ声に聞こえるというので、ペンネームを「えんや〜どっと」にした...というかたもいらっしゃったっけ。
当時「ヒルサイド・アヴェニュー」というリスナー参加型の番組を担当していたが、そこには全国から あまりにも数多くの様々なメッセージが届く。番組で紹介できるのはほんのちょっと。こぼれてしまった中に、まだまだ素晴らしい内容のものがたくさんある。これをなんとか全国の人に紹介したい。私がホームページを作りたい!と切望したのは、ただただその一点からだった。薄っぺらな人間の私に、発信したい、、と欲する自分の思いや自分自身のことなどはあまりなく、とにかく番組のフォローがしたいだけ。早く作ろうよ!おしりを叩いても、当時の番組スタッフで重い腰を上げる者はいなかった。
それならば。。。パーソナリティーがやるしかない。まず当時、別曜日担当の石川小百合さんが、自分のページを立ち上げた。内容は彼女のプライベートページに色彩が濃く、私の目指しているものとは微妙に違う。おりしも97年5月、インターネットをテーマにする出張放送が福島県の白河でおこなわれることになった。それにあわせて、見よう見真似の突貫工事でページを創り上げたが、出来たのは目次の項目だけ。全て「近日公開!乞うご期待!!」の文字が躍るB級映画の予告編のよう。それでも、たった一日で千件以上の訪問者があって、既にネット人口は多いと実感したものだった。
少しずつ少しずつ体裁を整えながら、メールで頂いたものや、当初の目的の当時ほとんどファックスで届いていたメッセージを手打ちでパソコンに打ち込んでホームページにアップする。これは気の遠くなるような作業だった。そこで急務は皆が気軽に書き込める掲示板システムを作ること。これなら番組テーマも皆に書き込んでもらえる。
私にはどうやっていいかわからない。どんなページがあるのだろう、、とネットサーフィンをしていた時、FM山口のホームページにたどり着いた。そこで、とあるチャリティーの活動を通して下関のインターネットサービス会社「チップス」とそこに働く濱川さんを知ることになる。何度も何度もメールのやりとりを繰り返すうち、濱川さんとは同志というか戦友のような気持が芽生えていく。そうして彼のご厚意で、当時から先進のシステムで稼働していた伝言板システムを使わせてもらうことになったのだった。感謝。
もこ伝。ここは私にとって何倍も生きた気持になれる人生の縮図だ。
喜怒哀楽、様々なやりとりがこの伝言板上で繰り広げられてきた。もっと頑張って前進せねば、、と叱咤激励をいただく場でもある。生きている時間は限られている。
そこで一人でも多くの人に出会う機会をもらえるのは、やっぱり幸せなんだと思う。時に泣いたり傷つけたり傷ついたりするとしても。臆病にならず、ゆっくりじっくり こみゅにけーしょんしていこう。
リニューアルされた今も、この5年分以上の過去ログは読むことが出来ます。心が疲れたとき、ふっと時間が出来たとき、そんな昔にちょっとだけ。あなたも足を踏み入れてみてください。時の流れを感じつつ。たのしいよ。そして、また色々な足跡をそこに残してみてください。あなたのおいでを待ってます。
http://djmoko.tip.ne.jp/